【座間事件】死刑執行された白石隆浩とは誰で何者?学歴・経歴・出身、家族構成、最後の言葉、井上尚弥父所有のアパートの現在まで徹底調査

座間事件 白石隆浩 週刊文春より

2017年、神奈川県座間市の静かな住宅街に佇むアパートの一室で、世間の想像を絶する猟奇的な事件が発覚しました。男女9人もの尊い命が奪われ、その遺体が解体・遺棄されていた「座間9人殺害事件」。この未曾有の凶悪犯罪の犯人である白石隆浩死刑囚(34)に対し、2025年6月27日の朝、ついに死刑が執行されたとの一報が日本中を駆け巡りました。この執行は、事件の記憶を強烈に蘇らせると同時に、我々に数多くの重い問いを投げかけています。

白石隆浩とは、一体どのような闇を抱えた人物だったのでしょうか。なぜ彼は、SNSで救いを求める若者たちを標的にし、これほどまで残忍な犯行を重ねることができたのでしょうか。彼の内面に迫るためには、その出自、育った環境、学歴、そして社会に出てからの経歴を丹念に紐解いていく必要があります。両親の離婚は彼に何をもたらしたのか、そして刑の確定後、閉ざされた拘置所の壁の中で何を語り、どのような最期を迎えたのでしょうか。

この記事では、これらの根源的な問いに答えるべく、現時点で入手可能なあらゆる情報を網羅し、白石隆浩という人間の実像と事件の核心に迫ります。この記事を最後までお読みいただくことで、以下の事柄が詳細にわかります。

  • 白石隆浩死刑囚の死刑執行が、なぜ約3年ぶりという異例の長期間を経てこのタイミングで行われたのか、その政治的・社会的背景。
  • 彼の出身地である座間市での幼少期から、学生時代のいじめ体験、そして社会からのドロップアウトを経て夜の世界へ転落していくまでの全経歴。
  • 自動車部品設計士の父と、彼が「捨てられた」と感じ続けた母、そして妹という家族構成が、彼の人格形成に与えた深刻な影響。
  • 「どうせ死刑なら謝る意味ない」と嘯いた彼の獄中での言動、金銭への異常な執着、そして裁判の過程で見せた心境の変化と、報じられた最後の言葉。
  • 事件の舞台となったアパートの具体的な場所、そしてオーナーであったボクシング世界王者・井上尚弥選手の父・真吾さんの苦悩と事件後の対応。
  • 事故物件となったアパートの現在の驚くべき状況と、そこに住む人々がいるという事実。
  • 9人の犠牲者のほかに、白石の魔の手から生還した「生き残り」が複数いたという驚愕の事実と、彼女たちが助かった理由。

この凄惨な事件を風化させることなく、その深層を理解することは、未来の悲劇を防ぐための一歩となるはずです。白石隆浩という存在が我々の社会に突き付けた課題と向き合いながら、事件の全貌を徹底的に検証していきます。

目次

1. 座間事件の白石隆浩が死刑執行?今になって死刑執行された理由はなぜ?

座間9人殺害・白石隆浩 FRIDAY
座間9人殺害・白石隆浩 FRIDAY

2017年に日本社会を根底から揺るがした座間9人殺害事件。その主犯、白石隆浩死刑囚の刑がついに執行されました。長きにわたる司法手続きと収監期間を経て、なぜ2025年6月というタイミングでの執行となったのか、その背後にある複雑な事情と社会情勢を深く掘り下げていきます。

1-1. 2025年6月27日、東京拘置所で刑執行の公式発表

2025年6月27日、法務省は定例の記者会見とは別に、異例の臨時会見を開き、白石隆浩死刑囚(34)の死刑を同日の朝、東京拘置所で執行したと正式に発表しました。 この執行は、2022年7月26日に秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大元死刑囚に対して行われて以来、実に2年11カ月ぶりという長い空白期間を経てのものでした。 この事実は、石破内閣が発足して以来、初めての死刑執行命令が下されたことを意味し、国内外のメディアで大きく報じられました。

鈴木馨祐法務大臣は会見の席で、厳しい表情ながらも毅然とした態度で「誠に凶悪な事案で、亡くなられた被害者はもとより、ご遺族の方々にとっても無念このうえない事件であると考える」と事件の重大性を強調。その上で、「法務大臣として、慎重な上にも慎重な検討を加えた上で、死刑の執行を命令した次第であります」と述べ、2025年6月23日に執行命令書に署名したことを明らかにしました。 この発言からは、国民感情や法の厳正さを考慮した上での苦渋の決断であったことがうかがえます。

1-2. なぜ約3年も?異例の空白期間の背景にある社会の動き

2年11カ月という執行の空白期間は、法務省が個別の死刑執行について即日公表を始めた1998年11月以降、最も長い期間でした。 この異例の「事実上の執行停止(モラトリアム)」状態が続いた背景には、複数の要因が複雑に絡み合っていたと考えられています。

最大の要因として指摘されるのが、2024年10月に死刑確定者であった袴田巌さんの再審無罪が確定した、いわゆる「袴田事件」の存在です。 えん罪によって一個人の命が奪われかねなかったという現実は、司法に対する信頼を揺るがし、死刑制度そのものの是非や、執行のあり方について極めて慎重な議論を求める声を社会に広げました。2025年5月には、鈴木法務大臣が袴田さんの姉であるひで子さんと面会し、正式に謝罪するという出来事もあり、これが一つの司法的な区切りとなり、執行再開に向けた環境が整ったとの見方が専門家の間でもなされています。

また、この間、死刑制度に対する国民の意識にも変化が見られました。2025年2月に内閣府が公表した世論調査では、「死刑を廃止すべきだ」と回答した人の割合が5年前に比べて増加しており、死刑存置を支持する声が依然として多数派ではあるものの、その盤石さが揺らぎ始めていることも、法務省が執行に踏み切れなかった一因と考えられます。 さらに、葉梨康弘元法相による「はんこ失言」問題で法務行政が批判にさらされたことも、執行を心理的に困難にさせた側面があったでしょう。

1-3. 確定から4年半、100人以上をごぼう抜きした執行の順番

白石隆浩の裁判は、2020年9月30日に東京地裁立川支部で始まりました。 裁判の最大の焦点は、被害者たちの「殺害への承諾」の有無でした。弁護側は承諾があったとして「承諾殺人罪」の適用を主張しましたが、同年12月15日、矢野直邦裁判長は9人の被害者全員について承諾はなかったと断じ、「自己の欲望の充足のみを目的とした身勝手な犯行」「犯罪史上まれに見る悪質な犯行」として、検察側の求刑通り死刑を言い渡しました。

判決後、弁護側は一度控訴しましたが、白石本人がこれを取り下げたため、2021年1月5日に彼の死刑は確定しました。 死刑確定から執行までの約4年半という期間は、日本の死刑囚の平均収監期間から見れば特別に短いわけではありません。しかし、当時105人いた未執行の確定死刑囚の中で、なぜ確定から日が浅い白石が100人以上を飛び越えて先に選ばれたのか、という点には疑問が残ります。この順番について、明確な基準は公表されていませんが、専門家はいくつかの理由を指摘しています。

一つは、白石が「再審請求をしていなかった」可能性が高いことです。 再審請求中の死刑囚の刑を執行することは、えん罪のリスクを考慮すると極めて難しく、これが執行の順番に大きく影響していると見られています。また、事件の社会的反響の大きさ、9人という被害者の多さ、そして犯行の残虐性・猟奇性が、他の死刑囚に先んじて執行される大きな要因になったことは間違いないでしょう。

2. 白石隆浩とは誰で何者?学歴・経歴・出身を徹底解剖

座間事件 白石隆浩 週刊文春より
座間事件 白石隆浩 週刊文春より

わずか2ヶ月という短期間に9人もの若者の命を奪い、社会を震撼させた白石隆浩。彼は一体どのような人生を歩み、なぜ常軌を逸した凶悪な殺人鬼へと変貌してしまったのでしょうか。その人物像を、彼のルーツである生い立ちから、夜の闇に染まっていくまでの経歴を丹念に追跡し、徹底的に解剖します。

2-1. 白石隆浩の全貌:プロフィールと二つの顔

まず、白石隆浩という人物の基本的な情報を以下の表にまとめます。

項目情報
本名白石 隆浩(しらいし たかひろ)
生年月日1990年(平成2年)10月9日
出身地神奈川県座間市
逮捕時の年齢27歳
死刑執行時の年齢34歳
最終学歴神奈川県立高校 卒業
主な罪状強盗・強制性交等殺人、強盗殺人、死体損壊・遺棄など

彼の人物像を語る上で欠かせないのが、その極端な二面性です。小中学校の同級生や近隣住民からは「おとなしい」「感情の起伏が少ない」「内弁慶」といった、内向的な少年としての姿が語られています。 しかしその一方で、ひとたび彼の領域に入ると、ゲームで負ければ半狂乱になり、金銭や女性に対しては異常なまでの執着心を見せ、そして犯行においては冷酷で残忍極まりない殺人鬼の顔を覗かせていました。獄中での反省の色が見られない自己中心的な言動は、その後者の人格が彼の本質であったことを物語っています。

2-2. 出身地・座間市での生い立ちと見せかけの平穏

白石隆浩は1990年、神奈川県座間市で、ごく一般的な4人家族の長男として生を受けました。 犯行現場となったアパートからわずか2キロほどの距離にある一軒家が彼の実家であり、自動車関連の設計士である父、専業主婦の母、そして4歳下の妹と共に暮らしていました。幼少期を知る人々は、彼を「妹の面倒をよくみる優しいお兄さん」「おとなしい子」と記憶しており、その姿からは後の凶行を予測することは困難です。

母親の供述調書によれば、幼い頃は扁桃腺が弱く、月に一度は熱を出すなど病弱な面もあったようです。初めての子育てということもあり、両親は彼に過剰な干渉をせず、自由に育てようと努めていました。一見すると、どこにでもある平凡で穏やかな家庭のように見えますが、その水面下では、後の彼の人生を大きく歪めることになる亀裂が静かに進行していました。

2-3. 学生時代に見せた心の闇:いじめと歪んだ自尊心

地元の公立小中学校に進学した白石は、同級生の間で「いじられキャラ」として認識されていました。普段は物静かでありながら、テレビゲームで負けると激昂するなど、感情のコントロールが不得手な面が目立ち始めます。この頃から、彼の内面には鬱屈した感情が渦巻いていたのかもしれません。

県立高校の国際経済科に進学すると、その孤立感はさらに深まります。女子生徒が多いクラスの中で彼はうまく溶け込めず、「座間石(ざまいし)」というあだ名で呼ばれ、オタク的な存在として扱われていました。この頃から彼は、学校生活よりも市内のホームセンターでのアルバイトに居場所を見出すようになります。

そして、彼の人格形成に決定的な影響を与えたとされるのが、高校2年生の時のいじめ体験です。運動部の生徒たちから日常的にプロレス技をかけられたり、肩を殴られたりしていた彼は、「それで人生が嫌になり自殺願望を抱くようになった」と後に語っています。実際に1〜2週間不登校になった後、教室で「自殺しようと思ったんですけど、できませんでした」と発言し、クラスを騒然とさせたというエピソードは、彼の心の闇の深さを物語っています。

2-4. 社会からの逸脱:職を転々とし夜の世界へ

高校卒業後、白石は大手スーパーマーケットに就職します。本人の希望で女性の多いベーカリー部門に配属されますが、ここでも長続きはせず、約2年で退職。その後は地元のパチンコ店や携帯電話ショップなどを短期間で転々とする、不安定な生活が始まります。

そして2015年、ついに彼は夜の世界へと足を踏み入れます。新宿・歌舞伎町のスカウト会社で働き始めた彼は、「月100万円稼ぎたい」という大きな野望を口にしますが、その実力は全く伴いませんでした。精神的に不安定な女性ばかりをターゲットにするため、トラブルが絶えず、同僚からは「仕事ができない奴」という烙印を押されていました。

2-5. “悪徳スカウト”としての悪名と卑劣な手口

白石のスカウトの手口は、次第に悪質さを増していきます。女性の意志を無視して違法な風俗店での仕事を強引に勧めたり、面接と偽って下着売り場に連れて行き、店員にサイズを測らせるといった異常な行動を繰り返していました。

特に悪質だったのが、金銭に困窮する女性に対し、身分証明書やキャッシュカードを担保に金を貸し付け、それを盾に売春を強要するという手口です。借金を返済しても「実家にあるから」などと言い訳をして身分証を返さず、多くの女性とトラブルになっていました。彼の周囲では「悪徳スカウト」という悪名が瞬く間に広まっていきました。

2-6. 金銭への異常な執着:AV男優からウリ専まで

彼の金銭への執着は常軌を逸していました。スカウト業の傍ら、アルバイトでAVに出演したり、男性を相手に体を売る「ウリ専」まで経験していたと自ら語っています。「1発5〜15万円稼げる」と自慢げに話す彼の姿からは、倫理観の欠如と金銭への異常な渇望がうかがえます。しかし、そうして稼いだ金も、デリバリーヘルスなどで湯水のように使い果たし、彼の生活が満たされることはありませんでした。

酒に溺れ、酔って警察署の留置所で寝泊まりするほどの自堕落な日々。仲間内で行った心理テストで「サイコパス」という結果が出たというエピソードは、もはや笑い話では済まされない、彼の危険な本質を暗示していたのかもしれません。この頃から、彼の人生は確実に破滅への道を突き進んでいたのです。

3. 白石隆浩の家族構成は?両親の離婚が犯行に与えた影響とは

多くの凶悪事件において、犯人の家族環境はその人格形成を探る上で極めて重要な鍵となります。白石隆浩を育てた家族とはどのような人々だったのか、そして彼の人生観を根底から覆したとされる「両親の離婚」は、彼の犯行にどのような影を落としたのでしょうか。彼の歪んだ心の深淵を、家族というプリズムを通して考察します。

3-1. 父親は真面目な設計士、息子を信じた末の絶望

白石隆浩の父親は、日産リーフなどの電気自動車に使われる充電コネクタの設計を手掛ける、実直な技術者でした。 近所付き合いも良く、困っている人を見れば手を差し伸べる親切な人柄で知られており、周囲からの評判も決して悪くありませんでした。事件が発覚する少し前には、知人に対し「今度、息子が帰ってくるんですよ」と嬉しそうに語っていたといい、息子との関係改善に期待を寄せていた様子がうかがえます。

しかし、その期待は最悪の形で裏切られます。事件後、父親は計り知れないほどの精神的ショックを受け、苦悩の日々を送ることになりました。白石の伯父(父親の実兄)は、メディアの取材に対し「やっぱり親だよ。申し訳ないと思っているだろ。いずれケリが付いたら、表に出てきて謝罪するんじゃないか。そうすべきだよ。息子のこと、あんなに可愛がっていたんだから…」と、弟の痛切な胸の内を代弁しています。 真面目に生きてきた父親にとって、息子の犯した罪はあまりにも重く、その絶望は想像に難くありません。

3-2. 母親の供述調書が描く「普通の家庭」と見えない亀裂

裁判で読み上げられた母親の供述調書には、一見すると「ごく普通の家庭」の風景が描かれています。初めての子育てに喜び、年に一度の家族旅行を楽しみ、過剰な干渉を避けて子供の自主性を尊重しようと努める母親の姿。そこからは、後に息子が引き起こす事件の予兆を見出すことは困難です。

しかし、調書を注意深く読み解くと、家庭内に潜んでいた歪みも浮かび上がってきます。白石が中学・高校と進むにつれて深刻化するゲームへの没頭、不登校、そして父親との激しい対立。「言うことを聞かないと、夫がブレーカーを落とし、隆浩は部屋の壁に穴をあけるほど激昂しました」という記述は、家庭内のコミュニケーションが崩壊していたことを示唆しています。母親は最後に「育て方が悪かったの? なぜこんなことができるの? ご遺族に謝っても謝りきれない」と、理解を超えた息子の犯行に悲痛な叫びを上げています。

3-3. 「母に捨てられた」という歪んだ認識が彼を狂わせたのか

白石の人生における大きな転換点となったのが、高校時代に母親が妹だけを連れて家を出て行った出来事です。 母親は周囲に「娘の通学のため」と説明していましたが、白石自身はこの出来事を決定的な「両親の離婚」と受け止め、「それからずっと暗い人生だった」「昔、親が離婚してさ、苦労したんだよね」と、繰り返し周囲に語っていました。

この「母から捨てられた」という強い被害者意識と孤独感が、彼の心を深く蝕んでいった可能性は極めて高いでしょう。母親に対する愛情の渇望が、歪んだ形で女性全般への執着や支配欲に転化したという見方もできます。7年以上も会っていなかった母親に対し、逮捕後も「寂しいし、切ない」と複雑な感情を吐露しており、彼の心の根底には、満たされることのなかった母性への強い飢えがあったのかもしれません。

3-4. 家族の十字架:事件後の完全な断絶と静かな暮らし

逮捕後、白石と家族の関係は完全に断絶しました。拘置所にいた彼のもとに、家族からの面会や手紙が届くことは一度もありませんでした。彼はそれを「見放されても仕方がない」「自分の存在があったことを忘れて生活をしてほしい」と、諦めに似た言葉で受け入れています。

報道によれば、母親と妹は事件後、座間市を離れ、川崎市内のアパートで世間の目から逃れるように静かに暮らしているとされます。 彼らが背負わされた「殺人犯の家族」という十字架は、あまりにも重く、その苦しみは生涯消えることはないでしょう。事件は、被害者遺族だけでなく、加害者の家族の人生をも無残に打ち砕いたのです。

4. 白石隆浩の最後の言葉は?獄中での異常な言動と心境の変化

座間事件 白石隆浩 週刊文春より
座間事件 白石隆浩 週刊文春より

逮捕された2017年10月31日から、死刑が執行された2025年6月27日まで。約7年半という長い歳月を、白石隆浩は高い壁に囲まれた拘置所で過ごしました。その中で彼は何を思い、何を語ったのでしょうか。メディアとの接見で露わになった彼の異常な内面、裁判の進行と共に見られたとされる心境の変化、そして、彼がこの世に残した「最後の言葉」はあったのか。その軌跡を克明に追います。

4-1. 驚愕の獄中放談:「最初の被害者は殺さずにヒモにすればよかった」

収監中の白石は、複数のメディアと接見を重ね、そのたびに常人の理解を超えた発言で世間を震撼させました。その中でも特に彼の人間性を象徴するのが、最初の被害者である女性Aさんについて語った言葉です。「実は、最初に殺したA子さんだけは可哀想だったなあと思っています」「どうせなら殺さずに、ヒモとしてお金をせびり続ければよかった」。 この発言には、人命を奪ったことへの罪悪感は微塵も感じられず、ただ自分の利益を最大化できなかったことへの「後悔」しかありません。彼の思考が、いかに自己中心的で倒錯しているかを如実に示しています。

犯行動機についても、当初は「お金が目的」と語っていましたが、次第に「性欲が溜まっていたのもあり、首を絞めて殺害した後、レイプした」「思った以上に快感を覚えた。それからレイプ物のAVにハマった」と、性的快楽が主目的へと変質していったことを、恥じる様子もなく赤裸々に語っています。

4-2. 被害者への謝罪はあったのか?「どうせ死刑なら演技する甲斐がない」

犯行への反省や被害者・遺族への謝罪の念は、当初の彼には皆無でした。裁判で遺族と対面してもなお、その態度は変わりませんでした。裁判長から「本心からではなくとも謝罪する気はないのか」と諭されても、「どうせ死刑なんだから、演技をする甲斐がない」と吐き捨て、最後まで反省のポーズすら見せようとしませんでした。

しかし、裁判が進み、遺族たちが涙ながらに家族を失った悲しみや犯人への怒りを訴える意見陳述を聞く中で、彼の心境に僅かな変化が見られたとも報じられています。「裁判で遺族の言葉を聞き、酷いことをしてしまったと思うようになった」と語り、一部の被害者に対しては「申し訳ありませんでした」と、謝罪の言葉を口にする場面もありました。 とはいえ、それが一瞬の感情の揺らぎだったのか、計算された発言だったのか、その真意は誰にもわかりません。

4-3. 司法さえもコントロールしようとした男:弁護人との壮絶な対立

白石は、自らの弁護人とも激しく対立しました。彼は当初から罪を認め、「裁判を長引かせ、自分の親族に迷惑をかけたくない」として速やかな判決を望んでいました。しかし、国選弁護人が黙秘や「承諾殺人」を主張する方針を立てたことに強く反発。「こっちが『争わずに進めていただけますか?』と聞いて、向こうが『わかりました』というから任命したのに」「この裏切りには、正直すごくムカついてます」と怒りを露わにし、弁護人の解任を繰り返し裁判所に請求しました。

彼は刑事訴訟法の条文を諳んじるなど、法律知識をひけらかしながら自らの主張の正当性を訴えました。この行動からは、司法というシステムさえも自分の思い通りにコントロールしようとする、彼の強い支配欲と歪んだ万能感がうかがえます。

4-4. 最後まで消えなかった金銭欲:「カネ次第。3万円差し入れてくれれば話す」

彼の金銭に対する異常な執着は、獄中でも衰えることはありませんでした。接見に訪れたジャーナリストに対し、「コレ次第(指で丸を作りながら)」「おカネさえくれれば、何でも話します」と、あからさまに金銭を要求。実際に3万円を差し入れた記者には、「3万円が入ってきて、かなりテンションが上がりました」「現金のつながりがある限り、会いますよ」と満面の笑みで語り始めました。

その金の使い道は、「拘置所の売店で唐揚げ弁当やチョコパイを買うため」という、あまりにも即物的で子供じみたものでした。9人の命を奪った罪の重さよりも、目の前の食欲を満たすことを優先する彼の姿は、人間性の完全な崩壊を物語っています。

4-5. 死刑執行の朝、彼は何を思ったか

死刑執行の3日前である2025年6月24日、白石は元主任弁護人と面会しています。その時の彼は、ラジオで聞いた米価高騰のニュースを話題にしたり、最近読んだ本の感想を述べたりと、数日後に迫った自らの死を意識しているようには到底見えなかったといいます。 拘置所内では筋力トレーニングに励むなど、淡々とした日常を送っていたようです。

執行の朝、彼がどのような言葉を残したのか、公式な発表はありません。「最後の言葉」は、闇の中に閉ざされたままです。しかし、彼はかつてのインタビューで、死への恐怖を覗かせつつも、矛盾した覚悟を口にしていました。「死刑はやっぱり痛いらしいですね。痛いのだけは正直、嫌だなあと思います」「僕は死刑に値することをしたので、死刑になる覚悟はできています」。 全てを諦め、感情を押し殺したまま、彼は静かにその最期の瞬間を迎えたのかもしれません。

5. 座間事件で何があった?9人を殺害した残虐な手口の全貌

座間事件 白石隆浩 Twitterアカウント 週刊文春より
座間事件 白石隆浩 Twitterアカウント 週刊文春より

2017年の晩夏から秋にかけて、座間市の静かなアパートの一室は、世にもおぞましい連続殺人の舞台と化していました。SNSという現代社会のコミュニケーションツールを悪用した卑劣な罠から、人間の尊厳を徹底的に踏みにじる残虐な犯行の実態まで、9人もの若者が犠牲となった事件の全貌を、時系列に沿って詳細に検証します。

5-1. 事件の概要:SNSの闇に潜む「首吊り士」の罠

事件の全ての始まりは、白石隆浩がTwitter(現X)上で、心の弱った若者たちを標的に定めたことでした。彼は「首吊り士」や「死にたい」といった、自殺願望を持つ人々の注意を引く複数のアカウントを巧みに使い分け、「一緒に死にませんか」「首吊りの手伝いをします」などと甘い言葉で誘いかけました。 彼のプロフィールには、自殺に関する知識をひけらかすような投稿が並び、悩みを抱える人々にとって、彼はあたかも救いの手を差し伸べてくれる理解者のように見えたことでしょう。

しかし、その正体は、救いを求める人々の純粋な気持ちを踏みにじり、自らの歪んだ欲望を満たすためだけに牙を剥く冷酷なプレデター(捕食者)でした。被害者たちは、最後の希望を求め、あるいは現実からの逃避場所として彼のアパートの扉を叩きましたが、その先に待っていたのは、想像を絶する裏切りと非情な死でした。

5-2. 犠牲となった9人のプロフィールと失踪の経緯

この卑劣な罠の犠牲となったのは、1都4県に居住する15歳から26歳までの男女9人です。 彼らはそれぞれが人生に悩み、苦しみを抱えていました。以下に、判明している被害者の情報を時系列順に示します。

殺害順被害者年齢(当時)居住地失踪・殺害時期(推定)
1人目Aさん(女性)21歳神奈川県厚木市2017年8月23日頃
2人目Bさん(女性)15歳群馬県邑楽町2017年8月28日頃
3人目Cさん(男性)20歳神奈川県横須賀市2017年8月30日頃
4人目Dさん(女性)19歳埼玉県所沢市2017年9月16日頃
5人目Eさん(女性)26歳埼玉県春日部市2017年9月24日頃
6人目Fさん(女性)17歳福島県福島市2017年9月28日頃
7人目Gさん(女性)17歳埼玉県さいたま市2017年9月30日頃
8人目Hさん(女性)25歳神奈川県横浜市2017年10月18日頃
9人目Iさん(女性)23歳東京都八王子市2017年10月23日頃

被害者の多くは、学業や仕事、人間関係の悩みをSNSに投稿していたところを白石に捕捉されました。唯一の男性被害者であるCさんは、最初の被害者Aさんの知人であり、彼女の行方を案じて白石と接触した結果、口封じのために命を奪われたとみられています。

5-3. 人間の尊厳を踏みにじる犯行手口:失神、暴行、そして解体

白石の犯行手口は、計画的かつ極めて残虐非道でした。彼は被害者をアパートの一室に招き入れると、警戒心を解くために酒や市販の睡眠薬、精神安定剤などを飲ませました。そして、相手が抵抗しにくい状態になったことを見計らい、背後から不意に襲いかかり、腕で首を絞め上げて失神させたのです。裁判では、女性被害者8人全員に対し、意識を失った状態で性的暴行を加えたことが認定されています。

殺害方法は、部屋のロフトに備え付けられていたはしごからロープを垂らし、首を吊るというものでした。 しかし、彼の狂気はそれで終わりませんでした。犯行の発覚を遅らせるという証拠隠滅の目的で、彼は殺害した9人全員の遺体を浴室で解体するという、おぞましい行為に及びます。 スマートフォンで「人間 解体」「死体解体法」などと検索して手順を学び、ホームセンターで購入したノコギリやナタ、包丁などを使って実行しました。切り分けられた肉片や内臓は、数回に分けて可燃ゴミとして近隣のゴミ集積所に遺棄。そして、身元の特定に繋がりやすい頭部だけは、臭いを消すために猫用のトイレ砂をまぶした上でクーラーボックスや大型の収納箱に入れ、自室内に隠していました。

5-4. 歪んだ動機の変遷:「金銭」から「性的快楽」という名の支配欲へ

逮捕当初、白石は一貫して犯行の動機を「金銭目的」と供述していました。 実際に彼は、被害者たちの所持していた現金、少額では数百円から、多い場合は50万円以上を奪っています。特に最初の被害者女性からは、アパートの契約金という名目で51万円をだまし取っており、これが犯行の原資の一つとなっていました。

しかし、犯行を繰り返す中で、彼の内なる動機はより深く、より暗い欲望へと変貌を遂げていきます。彼は法廷で「失神させた女性をレイプすることに、通常の性行為では得られない快感を得られた」「後半になると、何より第一に暴行したいという考えに変わった」と供述。 金銭という現実的な利益の追求から、抵抗できない相手を支配し、性的欲求を満たすという、歪んだ快楽そのものが主目的となっていった過程が浮かび上がります。

5-5. 事件発覚の糸口:被害者家族の執念と捜査協力者の勇気

この闇に閉ざされた連続殺人が世に知られることになったのは、9人目の犠牲者となった八王子市の女性Iさんの兄の、妹を想う強い気持ちと執念の捜査がきっかけでした。 兄は妹のSNSアカウントを徹底的に調べ、警察に捜索願を出すと同時に、自らも情報収集に奔走しました。その熱意に応えるかのように、一人の女性が「妹さんとやり取りしていた人物を知っている」と名乗り出て、警察の捜査に協力することになります。彼女がおとりとなって白石を駅に誘い出し、捜査員が彼を尾行することで、ついに犯行現場であるアパートが特定されたのです。 2017年10月31日、捜査員が部屋のドアを開けた瞬間、日本犯罪史に残る凶悪事件の全貌が明らかとなりました。

6. 犯行現場のアパートはどこ?オーナーは井上尚弥の父親だった

座間9人殺害・白石隆浩 アパート FRIDAY
座間9人殺害・白石隆浩 アパート FRIDAY

9人もの若者が次々と命を落とした悲劇の舞台、それは神奈川県座間市のありふれたアパートの一室でした。この場所は具体的にどこにあり、どのような物件だったのでしょうか。そして、事件発覚後に明らかになった、そのアパートのオーナーがプロボクシング世界チャンピオン・井上尚弥選手の父親であったという驚きの事実は、事件にさらなる衝撃と複雑な影を落としました。

6-1. 事件現場アパートの所在地と部屋の詳細

犯行現場となったのは、神奈川県座間市緑ケ丘6丁目に建つ、木造2階建てのアパート「シーバスハイム」です。 最寄り駅である小田急小田原線の相武台前駅から徒歩約8分、線路に面したごく普通の住宅街に位置していました。白石隆浩が借りていたのは2階の角部屋である205号室。その広さはわずか13平方メートル、間取りはロフト付きのワンルームでした。 この極めて狭い密室空間で、2ヶ月以上にわたり、想像を絶する残虐な犯行が繰り返されていたのです。

6-2. 驚きの事実:オーナーはボクシング世界王者・井上尚弥選手の父・真吾氏

事件が世間を震撼させる中、このアパートのオーナーが、プロボクシング界の至宝、”モンスター”の異名を持つ世界チャンピオン・井上尚弥選手の父親であり、彼を育て上げた名トレーナーとしても知られる井上真吾さんであることが判明しました。 この事実は大手メディアで一斉に報じられ、凄惨な事件は予期せぬ形でスポーツ界にも大きな波紋を広げることになりました。

井上真吾さんは、息子である尚弥選手だけでなく、同じく世界チャンピオンとなった弟の拓真選手も指導するなど、その手腕はボクシング界で高く評価されています。人格者としても知られる真吾さんが所有する物件で、これほど非人間的な事件が起きてしまったという事実に、多くのファンや関係者は言葉を失いました。

6-3. 井上真吾氏の苦悩と事件発覚当時の対応

事件の第一報に触れた井上真吾さんは、取材に対し「頭の中が真っ白になり、ぞっとした」「わからないことばかりでクエスチョンですよ」と、深い困惑とショックを隠せない様子で語っています。 オーナーとして、自らの管理する物件がこのような形で犯罪の温床となってしまったことへの苦悩は計り知れないものがあったでしょう。

不動産管理会社の証言によれば、白石は入居を非常に急いでいたといいます。通常、入居月の家賃が無料になる「フリーレント」の適用を待つのが一般的ですが、彼はそれを待たずに「1日でも早く入居したい」と即時入居を強く希望しました。 当時の家賃は1万9000円、敷金・礼金は不要という格安の条件でした。 そして、殺害方法として計画していた「首吊り」に利用できるロフトが付いていたことが、彼にとってこの部屋を選ぶ決定的な要因となった可能性が指摘されています。井上真吾さんにとっては、全くの偶然と不運が重なり、想像を絶する悲劇に巻き込まれる形となってしまったのです。

7. 犯行現場アパートの現在はどうなった?まだ住む人はいるのか

日本犯罪史に刻まれた凄惨な事件の現場となった、座間市のアパート。あの悲劇から時が経ち、その場所は今、どのようになっているのでしょうか。お祓いは行われたのか、そして最も気になる点として、現在もそこに住む人はいるのか。「事故物件」となったアパートの数奇な「その後」を詳細に追跡しました。

7-1. 被害者への供養:オーナーの意向で行われたお祓いと慰霊祭

事件後、警察による現場検証や捜査が一段落した2017年12月14日、アパートのオーナーである井上真吾さんの強い意向により、現場で「慰霊祭」が厳粛に執り行われました。 神職が招かれ、約30分間にわたってお祓いや祈祷が行われ、この場所で無念の死を遂げた9人の若き被害者たちの冥福が祈られました。

井上真吾さんはこの際、「今回アパートで起きた事件ですが、ようやく警察の規制も解除になりました。被害者の方々のご冥福をお祈りすると共にご供養を致します」とのコメントを発表。 また、慰霊祭を執り行った背景には、他の部屋に住み続ける居住者たちの心理的な負担を少しでも和らげたいという、オーナーとしての深い配慮があったことも、管理会社の担当者によって明かされています。

7-2. アパートの現在:取り壊されずに残る事件の記憶

これほどまでに社会を震撼させた事件の現場となった建物は、そのイメージの悪さから取り壊されるケースも少なくありません。しかし、2025年6月現在、座間市のこのアパートは取り壊されることなく、事件当時とほぼ変わらぬ姿でその場所に建ち続けています。

事件直後は、野次馬や興味本位で敷地内に立ち入る者もいたため、オーナーの判断で新たに防犯カメラが設置されるなどの対策が講じられました。 時の経過とともに人々の関心は薄れていきますが、建物そのものは、静かにあの日の悲劇の記憶を刻み込みながら、今もなお存在しているのです。

7-3. 家賃1万1000円!驚くべき新たな入居者の存在

最も驚くべき事実は、この事件現場となったアパートの部屋、まさに白石が凶行に及んだその部屋に、その後新たな入居者が現れたと報じられていることです。このニュースは、獄中の白石本人の耳にも届きました。彼はその事実を知ると、反省の色を全く見せずにこう語ったとされています。「すごい!よく気にしないでいられますね。ちなみに家賃は……えーっ!! 1万1000円!? やっす!前は2万2000円でしたよ。僕が住みたいくらいです」。

事件前の家賃は1万9000円(管理費等を含めると2万円台)でしたが、事件後は「事故物件」として家賃が大幅に引き下げられ、1万1000円という破格の値段になったようです。 この格安の家賃が、新たな入居者を惹きつける大きな要因となったことは想像に難くありません。

7-4. なぜ事件現場に住めるのか?その心理と社会背景

9人もの人々が惨殺された部屋に住む。多くの人にとっては、到底考えられない選択でしょう。しかし、現実には「事故物件」であることを承知の上で入居する人々がいます。その背景には、いくつかの心理的、社会的な要因が考えられます。

  • 経済的な理由:言うまでもなく、最大の理由は家賃の安さです。特に家計に余裕のない若者や単身者にとって、相場より大幅に安い家賃は、心理的な抵抗感を上回るほどの大きな魅力となり得ます。
  • 合理的な価値観:過去に何があったとしても、それは物理的な建物に影響を及ぼすものではないと考える、合理的な価値観を持つ人もいます。「霊的なものを信じない」「事件と自分の生活は別」と割り切ることで、格安物件のメリットを享受するのです。
  • 情報の非対称性:事故物件であることの告知義務はありますが、その詳細までを知らずに入居するケースもゼロではありません。

どのような理由であれ、新たな入居者がいるという事実は、このアパートが事件の記憶を内包しながらも、誰かの「日常の舞台」として新たな時を刻み始めていることを示しています。

8. 座間事件には生き残りがいた?白石隆浩から生還した女性たちの存在

9人もの命が奪われた座間事件の深い闇の中に、一条の光とも言うべき驚愕の事実が存在します。それは、白石隆浩の魔の手からすんでのところで逃れ、奇跡的に生き延びた「生還者」たちが複数いたことです。彼女たちはなぜ助かったのか、そしてその存在が事件の解決にどう結びついたのか。9人の犠牲の裏にあった、知られざる生還のドラマに迫ります。

8-1. 生還者①:事件解決の立役者となった勇敢な捜査協力者

この未曾有の連続殺人が白日の下に晒された直接のきっかけは、一人の女性の勇気ある行動でした。9人目の被害者となった東京都八王子市の女性Iさんの兄が、行方不明となった妹の足取りを追うため、Twitterで必死に情報提供を呼びかけていたところ、ある女性から極めて重要な情報が寄せられます。「妹さんと交流していた人物と同じハンドルネームの人物と、私もやりとりをしていた」。

この情報提供者の女性は、自らの危険を顧みず、警視庁の捜査に全面的に協力。なんと、自らがおとりとなって白石をJR町田駅に誘い出すという危険な役割を引き受けたのです。このおとり捜査により、捜査員は白石の行動を尾行し、ついに犯行現場である座間市のアパートを特定するに至りました。 彼女の勇気と機転がなければ、10人目、11人目の犠牲者が出ていた可能性は極めて高く、まさに事件解決の最大の功労者と言えるでしょう。しかし、後にこの女性が自ら命を絶ってしまったと報じられており、事件がもたらした悲劇の連鎖はあまりにも痛ましいものです。

8-2. 生還者②:遺体解体を目撃しながら10日間滞在した女性

さらに信じがたいことに、白石のアパートに10日間も滞在し、あろうことか遺体の解体作業まで目にしながらも生還した女性がいました。ノンフィクションライターの小野一光氏の丹念な取材によって明らかになったこの女性(仮にYさんとします)の存在は、事件の異常性をさらに際立たせています。

裁判での白石の証言によれば、彼はYさんを部屋に滞在させたまま、4人目の被害者Dさんを殺害し、その遺体を解体していました。Yさんが解体作業に気づくと、白石は「自殺を手伝っているんだよ」と、殺害と解体の事実を正直に説明したといいます。常人であれば恐怖のあまり正気を失うような状況で、なぜYさんは殺されずに済んだのでしょうか。

8-3. 生還者③:白石に「魅力がない」と判断され帰された女子高生

白石は、殺害した9人の他にも、SNSを通じて知り合った複数の女性と実際に会っていました。その中には、部屋にまで招き入れたにもかかわらず、最終的に危害を加えられずに帰された女子高生(仮にZさんとします)もいました。白石自身がその理由を「口説いたけど、私に魅力がなくて、口説く力が足りなくて、そのまま帰してもらった」と法廷で語っています。Zさんは白石の部屋でクーラーボックスの中身について説明された後、恐怖を感じて部屋を出たといいます。白石の思惑通りに事が運ばなかったことが、彼女の命を救ったのです。

8-4. なぜ彼女たちは殺されなかったのか?生と死を分けた白石の身勝手な論理

なぜ、9人は無残に殺害され、彼女たちは生きて帰ることができたのか。その生と死を分けた境界線は、どこにあったのでしょうか。その答えは、白石本人が語った、あまりにも身勝手で歪んだ判断基準の中にありました。

「おカネになりそうかどうか」、そして「自分に対して好意を持っているかどうか」。これが彼の生殺与奪の論理でした。

遺体解体を目撃したYさんについては、「彼女は夜の仕事をしており、そういう女性は性行為をしないほうが親密になれると判断した」「信用、信頼、恋愛、依存のいずれかの感情を感じ取れた」と説明。つまり、長期的に金銭を搾取できる「金づる」になると判断し、かつ自分に恋愛感情や依存心を抱いていると一方的に確信したため、殺さずに生かしておいたのです。

彼の歪んだ天秤ひとつで、人の命が弄ばれていたという事実。この事件は、人間の心の闇がいかに深く、そして他者の尊厳をいとも簡単に踏みにじるものであるかを、我々に突きつけています。

9. まとめ:座間9人殺害事件と白石隆浩死刑囚の全て

2025年6月27日、ついに死刑が執行された白石隆浩死刑囚。彼が引き起こした座間9人殺害事件は、その残虐性と社会に与えた衝撃の大きさから、日本犯罪史に深く刻まれることになりました。この記事では、事件の背景から犯人の実像、そして現在に至るまで、その全貌を多角的に掘り下げてきました。最後に、本記事で明らかになった重要なポイントを改めて包括的にまとめます。

  • 死刑執行の背景: 2017年に9人を殺害した白石隆浩死刑囚は、2021年1月に死刑が確定。約4年半の収監期間を経て、2025年6月27日に東京拘置所で刑が執行されました。これは約3年ぶりとなる日本の死刑執行であり、袴田事件の再審無罪判決などを経た後の執行再開として、社会的な議論を呼びました。
  • 白石隆浩という人物像: 神奈川県座間市出身。学生時代にいじめを経験し、社会に出てからは職を転々とするなど社会への不適応がうかがえます。夜の世界に足を踏み入れてからは金銭と女性への異常な執着を募らせ、その自己中心的で二面性のある歪んだ人格が、未曾有の凶行へと繋がったと分析されます。
  • 家族構成と人格形成への影響: 自動車部品設計士の父、専業主婦の母、妹という4人家族。しかし、白石が高校時代に母親と妹が家を出たことを「両親の離婚」「母からの拒絶」と捉え、これが彼の心に深い孤独感と歪んだ女性観を植え付けた可能性があります。逮捕後は家族との関係は完全に断絶していました。
  • 犯行の残虐な全貌: SNSで「首吊り士」を名乗り、自殺願望を抱く15歳から26歳の男女9人を座間市のアパートに誘い込み殺害。当初の動機は金銭目的でしたが、犯行を重ねるうちに抵抗できない相手への性的暴行という快楽そのものが目的へと変質。遺体を解体し遺棄するという、人間の尊厳を徹底的に踏みにじる手口でした。
  • 獄中での言動と最期: 獄中では「どうせ死刑なら謝る意味ない」と嘯き、反省の色を全く見せない一方で、遺族の言葉に心境の変化をうかがわせる場面もありました。しかし、その真意は最後まで不明です。明確な「最後の言葉」は公式には発表されておらず、静かに最期を迎えたと推測されます。
  • 犯行現場アパートの現在: 現場となったアパートは、オーナーであったボクシングの井上尚弥選手の父・真吾氏の意向で慰霊祭が行われました。その後、取り壊されることなく、家賃を1万1000円という破格の値段に下げた結果、新たな入居者がいると報じられています。
  • 奇跡の生還者の存在: この事件には、白石の魔の手から逃れた女性が複数存在しました。事件発覚の端緒となった勇敢な捜査協力者や、白石が「金づるになる」と身勝手に判断して生かした女性など、彼の歪んだ論理が生死の明暗を分けていました。
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